知性の肺活量
今日の朝日新聞広告紙面の記事より。
先日大谷大学で開かれたあるシンポジウムでの
同大学文学部哲学科教授の鷲田清一先生のことば
「知性の肺活量」にハッとさせられました。
人間は本当の意味で「分かる」ということは
実はとても難しいことである。
例えば「自分は一体何者か?」などという問いに対して
死ぬまでに分かるものではない。
人間の一生や社会生活の中で本当に大切なことには
正解がなかったり
その正解がなかなか見つからなかったりすることが多い。
そこでたとえ分からなくても
「何が大事かを見極める力」が重要で
そのためには「知性の肺活量」が必要であるということ。
「知性の肺活量」とは物事は
考えれば考えるほど、分かれば分かるほど
また新たな違う問題が見えてきて複雑性が増大する。
それに耐えられる思考力を持つということ。
だそうです。
人が勉強するかしないかは
まずはその肺活量を増やしたい、増やさなければ、
と思えるような問題との出会いが
あるかないかということになるのでしょうか。